私と屋根神

2008年06月18日

【大盛況!】「僕を選んでくれた屋根神さま」、清須市

 6月18日、清須市西枇杷島町の福祉センターにて、講演会「僕を選んでくれた屋根神さま」が開催されました。
 これは清須市西枇杷島福祉センターが地域サービスの一環として開講している「寿大学」6月の講座として行われ、会場には地元の受講生が多数詰めかけました。
 今回の講演では、屋根神さまについての難しい解説よりも、なぜ屋根神さまの写真を撮るようになったのか、という私のライフストーリーを中心に話題を展開。クイズあり、笑いあり、真剣な話ありと、楽しみながら屋根神さまのことを理解してもらい、ひいては、地元に残る屋根神さまについて、改めて考えていただけるきっかけとなれば、という思いで話を進めました。
 終了後には、以前、撮影中に西枇杷島で話をうかがった方から声をかけられるなどの出会いもあり、私にとっても楽しい一日となりました。

 なお、当日講演会で使用したレジュメの内容は以下の通りです。

題名:「僕を選んでくれた屋根神さま」

1、屋根神さまとは?
2、「屋根神写真家」モリマコトができるまで
3、屋根神さまを記録する
4、屋根神さまを見にいく
5、屋根神さまを伝える
6、屋根神さまとこれからの僕
7、質疑応答

2008年04月21日

【私と屋根神】屋根神さまの残るまち

 先日、屋根神さまを撮りながらふとこんなことを思いました。

「自分は果たして屋根神さまを撮っているのだろうか?」 
 
 私は屋根神さまを写真に記録したいと思い立ち、名古屋市内に残る屋根神さまを撮ってきました。だから屋根神さまを撮っていることには変わりないのですが、現像された写真のコマをルーペでのぞきながら、最近、自分自身にこう問いかけています。

 そもそも屋根神さまとは「家屋のひさし屋根の上や軒下にまつられた神さま」を指すことはご存知の通りです。しかし現在名古屋市内で見られる屋根神さまの多くが「屋根神さまをルーツとする社」、つまりかつては屋根にまつられていたけど何らかの理由で降ろされ、他の形態に変化したものといえるでしょう。
 
 古い資料で申し訳ありませんが、2006年に私が調査した市内の屋根神さま135社のうち「屋根」(上記の説明の状態)にあるものは16社で、下に降りた状態である「台上」(祭祀形態は様々)は86社にのぼります。これによると既に半数以上は本来の意味の「屋根」神さまではありません。「屋根神さまの写真撮らせて下さい」と声をかけながら実際撮影したものは屋根神さまでないというのが笑えない事実です。

 もちろん、「屋根神さまをルーツとする社」でも飾り付けをはじめ祭祀形態は上にあった時代とそれほど変わらず、写真の撮影と同時に行う地域の方への聞き取りはとても価値があることと思っています。しかし、何かが物足りない。それはやはり屋根の神さまを撮っていないからなのでしょうか...
 
 屋根神さまの写真を撮る私にとって「閑散期」である2、3月が過ぎると、春祭たけなわの4月がやってきます。昨年は岐阜県関市を皮切りに、郡上市、高山市、羽島市と屋根神さまのある町を歩くなかで、うらやましく思うことがありました。ひとつは昔ながらのまち並みと人々のつながりが当たり前のように現役で残っている点、そして瓦屋根の連なる街道筋は交通量が名古屋と比べてかなり少なく、それほど車を気にせず歩ける点です。そういった条件が重なり合い屋根神さまが残されていくのだと思います。

 もちろん、数こそ少なくなりましたが、名古屋にも岐阜に劣らずすてきな風景が残っています。その風景の記録こそが「屋根神さまを撮ること」なのだと思い、心を新たにしました。

2008年04月17日

【私と屋根神】思いつきから

 外山滋比古の「思考の整理学」に、あることを集中して考えても煮詰まってしまうので「寝かせる」つまり一定期間忘れることが必要と書いてありました。素人の私は、再び思い出せなくなったら、と心配するのですが、仮に忘れっぱなしであれば、それは重要な事柄ではなかった、というだけです。

 屋根神さまに関心を持って以来、なぜ屋根神さまは屋根に上げられたのか、津島・秋葉・熱田の三社をまつったのか、という疑問について考えています。一般に「地上にまつる場所がなかったから」「津島=厄除け、秋葉=火伏、熱田=武運長久」と考えられており、私も様々な場所でこう書いています。

 屋根神さまについて書かれた書物を読むとこのような説明があり、それを見た研究者が論文などでそう書けば、未来の読者に影響を与えることになるでしょう。私も与えられたクチですが、飽きずに現場で観察したりまつってみえる方に話を聞くと、「なるほどなあ」とついうなってしまうこともあります。

 中村区内でまつられている神さまは12月16日の秋葉祭のときだけ社を近くの神社に移し仮の祭殿を作って祭礼を行います。秋葉祭ですからその前で火をたき、近所の方は「中にイモを入れて焼きイモして、それを食べると夏に病にかからんというの、夏病みしんのだヮ。これ、そういう神さまだもん」とと教えてくれました。

 ここで「秋葉祭で焼いたイモを食べる→夏病みしない」から「夏病み→厄除け→天王祭」という図式が思い浮かびました。つまり秋葉神社で食べたイモが津島神社の霊験(厄除け、災禍の退散)に影響を与えているのです。秋葉さんと天王さんの連携プレーといえるのではないでしょうか? 主流を外れた思考に過ぎないかもしれませんが、現場でしか知りえないことだと思います。

 ちなみに洗濯物をたたんでいるときに何となく思い出したのでメモしました。

2008年02月28日

【私と屋根神】車に乗らない! <1>

先日カメラ雑誌を見ていたら、ある鉄道写真家が「僕は鉄道を撮って生活しているので基本的には車に乗りません」と発言していました。車を使わなければ機材を減らさざるをえないし撮れるものも限られてきそうですが、その分、機材選びに磨きがかかり、必要最小限に押さえることができるのでしょう。その言葉にプロを感じました。

話はかわって、私も車には乗りません。といっても写真展の際は荷物を載せるための車を手配するし、会場までも車でいった方が楽です。便利なことは百も承知の上であえて、自分は車に乗らないように心がけています。屋根神さまを撮るためのこだわりです。

私は写真を撮るだけでなく町内の人々からできるだけ多くの話を聞かせてもらうようにしています。そして必ず屋根神さまの行く末についても尋ねます。家屋の新改築や高齢者中心で祭祀を行い後継者がいないことが消えてしまう理由ですが、最近では車の通行量の増加もそれに拍車をかけています。

「昔はよォ、いろんな店があってにぎわっとったけど、いまでは車がようけ通って危ないで店も少ななったヮ」

西区枇杷島の美濃路で聞かれた言葉です。旧道は道幅が狭く両側の店鋪をのぞきながら歩くにはよいのですが、車が一台通るだけで歩行者にとっては危険です。店が消えるだけでなく、はしごをかけて祭礼を行う屋根神さまが消えてしまうのも無理からぬことでしょう。

またかつて屋根神さまがまつってあった家屋を壊して駐車場となった場所もいくつか目にしました。駅前の開発の波がかつて長屋が軒を連ねていた下町を飲み込んで駐車場やマンションに変えてしまっている、しかもその波に太刀打ちできないのが現状です。名古屋の経済が全国的にみて好調なのは自動車が牽引役を担っているからでしょう。しかしその名古屋で車が原因で消えてしまう文化があるとすれば悲しいことではないでしょうか。

2008年01月28日

【私と屋根神】大好きなこと

屋根神さまを撮り続けて今年で9年目になります。

よく続いていると思います。屋根神さまを撮ることは現段階ではなかなかお金につながりませんが、本当に好きだからこそ長く続いているのでしょう。その理由を自分史のなかに探っていくとふたつの「大好き」にたどりつきます。

私は自転車に乗ってどこかにいくことが大好きな少年でした。小学3年生ではじめてペダルをこいで以来、中学生で友人たちと名古屋港に行き、高校生で県をまたいで旅をして、大学生でサイクリング部に入り日本全国を旅しました。おかげで、どこへ行くにも自転車です。それほど遠い距離ではない撮影では自転車に乗っていくことが多く、遠い距離なら自転車を折り畳んで持っていきます。

一方、私は幼いころから、変わったものを好む性格がありました。そのひとつに、幼稚園くらいのころ灯籠を好きになったことがありました。庭園や神社などに置いてあるあの灯籠です。好きになった理由は分かりませんが、幼い目に灯籠の曲線美(?)が奇妙に写ったのでしょう。近所のお宅の庭に小さな灯籠が飾ってあり、私は祖父とそこを通るたびに「灯籠、灯籠」といったいた記憶があります。そのため祖父はうちの庭に灯籠を置こうか、と両親に提案してくれたようですが、倒壊の危険性があるので却下されました。その代わりに当時飼っていた熱帯魚の水そうの中にミニ灯籠を入れてくれました。

屋根神さまを追い求めている今の自分は、自転車に乗って珍しいものを見たい、という気持ちが成長とともに強くなっていった結果であると思います。屋根神さまを探し始めたころに比べて、機材が多くなったので自転車の出番はだいぶ少なくなりました。それでも、撮影のたびに「今日は自転車でいけるかな」と考えます。

僕の「大好き」の基本はこのふたつにあるのです。

2008年01月06日

【私と屋根神】お神酒、2008/1/2

屋根神さまの撮影をするようになってから、お正月はゆっくり過ごすものではなく、忙しく歩き回るものとなりました。普段は祭礼の様子が見られない場所でもお正月には飾りつけが行なわれているからです。また屋根神さまは小さな神社ですから、初詣を兼ねることもできます。熱田、津島、秋葉の三社を一度に参拝するので、一石三鳥です。

「今度もし来られたら一杯やりましょう」。一昨年前、写真展を訪れて下さった昭和区北山本町の方から声をかけられました。同町内では毎年正月に神事を開催します。話によるとお祓いの後、かがり火を囲んでお神酒を飲むそうです。正月の準備にはこれまでもいろいろな現場で立ち会ってきましたが、元旦に神事を見るのは初めてなので、大変楽しみにしていました。

元旦の朝、午前7時ころに現場に到着すると、提灯を取り付ける木わくや紫幕はすでに準備してありました。しばらくすると氏子総代と町内会長がやってきて提灯をつるしたり供え物を乗せる台を設置したりと、祭礼の準備に取りかかりました。午前8時、御器所八幡の宮司さんが到着するころには社の前に置かれたかがり火を囲んで町内の人々が15人ほど集まっていました。お祓いが終ると前述の通り町内一同でお神酒をいただきます。

当日の朝は肌寒さはあるけど交通量は少なく、1〜2時間を外で過ごすには気持ちのいいものでした。新年の始まりを同じ地域に住む人たちで迎えようという意味があるのでしょう。あちこちから笑い声も聞こえてきます。私もいろいろな方から声をかけていただきました。元旦にこうして写真を撮りにきている変わり者でも受け入れられていることがうれしい。

写真を撮り始めて今年で9年目です。名古屋をはじめ様々な地域を歩きながら、心温まる風景にであってきました。ここでも、お酒で体だけでなく、心まで温かくなるひとときを過ごすことができました。

2007年12月21日

【私と屋根神】怪しさを出会いに

屋根神さまの写真を撮り続けて数年になりますが、いまでも初めてうかがうところや準備をする当番の方が初めてだったりすると、怪しまれることがあります。私はできる限り準備前には現地に到着して当番の方が来るのを待ちます。早ければ10分ほどですが、長いと3時間くらい。それ以上になると「タイムアウト!」と勝手に宣言してその場を離れます。運不運も撮影にはつきものです。

その間、社の前に立ったりうろうろしながら待っているわけですから、相当に怪しいのではないでしょうか。できる限り通りがかりの人を捕まえては「神さまの準備いつごろやられますか」と話しかるようにします。そしてそこから顔見知りとなる方もいます。

10月初旬に中区金山で行われた祭礼のときのこと。早くから社の前でガサガサやっている私に神さまに隣接する長屋のおばあさんから「なにィ、神さま撮るの?」と声をかけられました。笑顔で返事をすれば怪しいものでないことが伝わるはずです。「これは百年以上たっとるよ。戦争のときでも燃えなんだんだヮ」。撮影をしている最中も時おり玄関を開けては「当番のひと来たァ。よかったなァ」と声をかけてくれます。

12月1日に私の写真と文章が掲載された「ATOZ」が発行されました。そこで早速、数部を携えて祭礼の撮影でお世話になった方に持っていきました。神さまの隣のおばあさんにもです。呼び鈴を呼ぶとガラッと少しだけ扉が開いたので「先日お祭のときにお世話になったものです」と声をかけると「あんたかァ、一生懸命撮っとたなァ、まあ入ってりゃァ」という言葉が返ってきました。「これに先日撮った写真が載りました」「立派なもんができたがね、よう写っとるヮ」

玄関の中でしばらく立ち話をしてそろそろ帰ろうと玄関を開けると、「気をつけてやってな」、おばあさんは笑顔で見送ってくれました。


2007年12月20日

【私と屋根神】ソウルから屋根神へ

「森さんが韓国にいたことと屋根神さまって結びついているのですか?」
 記者氏の質問に私は
「関係あるとは思いますけど...」
とどうもはっきりしません。

大学卒業後に留学した韓国から帰国して10年。当時は韓国も日本も不景気で、「韓流」なんて流れはなく、韓国語が話せるだけでは就職が難しい就職氷河期でした。自分はこれからどうすればいいのか、京都と韓国で過ごした青春時代の経験はしょせん、どうってことのないものなのか...

「そういえば、よく歩いていましたよ」
思い出して記者氏にいいました。
「ソウルをくまなく、路地にも入りながら...」

授業が終ると学校から繁華街まで歩いたり、休日には一周する地下鉄の沿線を駅をたどって歩いたこともありました。結果として地理に明るくなるだけでなく、まちの表情も見えてきます。ここには小さな市場があるとか、ここを入っていけば怪しいエリアに出るとか、またここの階段を降りると子どもたちがたくさん遊んでたな、とか。

就職活動が不発続きでやることのない時期、私は狂ったように名古屋市内を歩きまくりました。大門の中村遊廓や尾頭橋の八幡園など遊廓あとを必ずそのコースに入れて。建物の珍しさと、消えてしまったまちの持つ「いやらしさ」に引かれていました。

韓国でハマったまち歩き、ただひたすら歩くことを続けていたことが屋根神さまとの偶然のであいを作ってくれたのだと思います。図書館で中村遊廓について書かれた本を書棚に返したところ、隣にあったのが屋根神さまの写真集でした。

「韓国→歩く→中村遊廓→屋根神」と強引に図式立てて考えれば直接的にではないけど、韓国にいったことが関係してるのかなあ。記者氏からの電話を切ったあと、妙に納得感をえました。

2007年12月12日

【私と屋根神】「GO金山」から「ATOZ」へ

「そういえば熱心に写真見てた人がいたよ」。
昨年開催した写真展「まちの文化遺産 屋根神さま」を見てくれた友人がメールで教えてくれました。熱心に写真を見てくれる人がいるというのは、主催者としてはうれしい限りです。翌日、会場を訪れると、芳名録に一枚の名刺が置かれていました。聞いたことのない社名が書かれた名刺。でもこれが新しいであいとなりました。

「一回めで屋根神さまのことを詳しく書いていただき、二回めで祭の状況を伝えられないでしょうか?」。生後間もないタウン誌「GO金山」のNさんは熱のこもった言葉でいいました。写真展会場で熱心に写真を見て下さったのはほかならぬNさんでした。金山周辺を扱った誌上で屋根神さまを取り上げることはできないだろうかという話に当初、「いまではあまり残っていないし、屋根神さまといえば西区が有名ですから」と返答し、その話は留保されました。2006年の話です。

しかし私も身勝手なもので、今年に入って西区でも屋根神さまが徐々にではあるけど廃社となっている姿を見て、いま現在できることは? をようやく考え始めました。それが発端で「屋根神ウオーク」(2007年9月1日)として結実したのですが、同時に頭に浮かんだのが、熱血漢あふれるNさんの顔でした。早速、メールで連絡をとると、掲載はいつごろとか、内容はどんなかたちでといったNさんのアイデアを披露してくださいました。私も屋根神さまが置かれている状況を説明して迷うところなく掲載をお願いしました。すると話はまとまり、「庶民の暮らし見守る「屋根神さま」」(2007年6月5日号)として実を結びました。

そして今回、冊子の発行形態が大幅にかわってしまいましたが、新しく範囲に加わった西区の一部を取り上げて原稿を書きました。12月1日発行ですので、ぜひご覧下さい。なお新冊子の名称は「ATOZ」と書いて「アトゼ」と読みます。

※「ATOZ」の入手方法
「アスナル金山」「オアシス21」など主要商業施設をはじめ、主要駅構内・飲食店・ホテル・行政機関などにラック設置をしています。(http://www.atoznet.jp/より)

2006年11月15日

【私と屋根神さま】みかんと屋根神さま、2006/11/15

本日11月15日は屋根神さまの月次祭。

11月の撮影は今日が初めてなので張り切って家を出ました。午前5時に起床し同49分の地下鉄で金山へ、そして名鉄に乗り換え東枇杷島に向かいます。カメラはいつも背負っているナップザックの中に入れ、腰のポーチの中のフィルムを確認し、手には三段の脚立を持って出発です。

東枇杷島に着いた6時ごろの空は薄暗く、まだ町が眠っているかのようです。私は重い鞄と脚立を抱えながら枇杷島の屋根神さまに向かいました。じつは昨晩、午前12時に帰宅しそれから寝る支度をしたものの目が冴えてしまって全然眠りにつくことができませんでした。気がついたら午前5時。セットしておいた目覚ましが鳴ります。一睡もしていない割には案外素直に目覚め服を着替えました。しかし着替えをし、またコーヒーを作りながら、今日はどこの屋根神さまに向かおうかをずっと考えていました。昨晩から一睡もできなかっただけではなく、今日訪れる屋根神さまさえも決めていなかったのです。

コーヒーを飲みながら考えました。フィルムをネガからポジにして一ヶ月。できるだけポジフィルムで多くの屋根神さまを記録したいと思って活動している昨今だからこそ、まずは私のかつてのホームグランドである枇杷島と栄生に向かおうと何気なく決めてしまいました。決めたとなるとあとは現地に向かうだけ。もちろん月次祭の準備がなされる前に到着することはいうまでもありません。

一階平屋造の家の屋根に載った屋根神さまのその社殿は市内でも珍しい丸形屋根。かつて栄生に移住してすぐに撮りに行き、また12月16日に執行される秋葉祭でも毎年必ず撮影を敢行している思い入れの強い屋根神さまです。幸い、到着したときはまだ祭りの準備は行われていなかったので脚立を広げカメラを構えて構図を確認します。といっても何度も撮っているので最良の構図は頭の中にあるつもりです。6時半ごろ、空は徐々に白みがかっていきますが、カメラをセットして露出を測ってみるとまだまだ不足気味です。しかし空からは薄暗さがだんだんと消えていき目に見える速さで白く明るくなっていきました。当然、露出も十分得られるようになっていきます。そこで試しに一枚撮ってみました。

朝方の冷え込みを我慢しながらしばらく待っていると、7時前に今日の当番の方がいらっしゃいました。私の知っている方なのであいさつ代わりに「今日も屋根神さま写真に撮らせてもらいますよぉ」と声をかけると、当番の方は「いいよぉ」と返事を返して下さいました。お供えを載せておく台を置き、三社の名前が書かれた提灯を取り付け、榊、お供え物を三方にすえれば月次祭の準備は完了します。その間私は頭の中に描かれた構図を確認しながらシャッターボタンを押しました。時には通行する車に遮られながらも、どんどん押していき30枚を撮りました。その間、5〜7分ほどでしょうか。脚立に乗ったり降りたり、はたまた屋根神さまの現況について話をしていると押す手が鈍りますが、屋根神さまの撮影はただ黙々と進めればいいものではありません。あくまでもこちらは撮らせていただいている気持ちを忘れずに、地域の方と接するよう心がけています。こうして枇杷島の屋根神さまをかわきりに栄生の屋根神さまを撮り歩きました。
 
朝早く撮影に出かけますと、各地で月次祭の準備が終了する午前10時ごろにはこちらの体力が消耗してきます。今朝は朝食を抜いて出てきたので、休息兼朝食を喫茶店でとりました。疲れた体にコーヒーと甘いものを含ませ、読書をしながらしばしブレイクタイム。そのまま付近の屋根神さまを撮るつもりでいましたが、不眠のため集中力が切れかけていたので、いったん帰宅することに。時計を見るとすでに正午を過ぎていたので、あわてて昼食をとり小一時間ほど午睡をむさぼりました。

午後2時を少し回ったくらいに今度は自転車で出発しました。目的地は栄生、今となってはなかなか見られない片付けのさいのおかがり(かがり火)を見るためです。栄生の屋根神さまには3時少し過ぎに着きましたが、さすがにこの時間ではまだ早すぎます。そこで栄生駅ガード下にある古書店に行き何をするともなく本を立ち読みしていました。いつもの私のパターン通り、新書、文庫、単行本と見て歩きましたが、これといって見るべきものはありません。ところが詩のコーナーに目を移した途端、目に飛び込んできたのが星野富弘さんの「鈴の鳴る道」でした。以前より彼の作品を読んでみたかったし、300円と廉価であったことから購入を決断しました。もし店を出て現場に行ってまだおかがりの準備がされていなかった場合は公園で読んでいればいい、と考えました。

3時半、屋根神さまの前に行ってもだれも出て来ていないし提灯やお供はそのまま。前回撮影したさいは確かこれくらいの時間ではなかったか、と思い返してみても仕方ないので近所の方に聞いてみました。「いつもはよ〜、だいたい5時ごろにはやらっせるよ。でも陽が短くなったで、最近はちょっと早いかもしれん。4時半にはやるんじゃないかなあ。まだ時間あるでどっか回ってりゃー」

仕方なくベンチのある枇杷島公園で向い側の「ふる里」で買った小田巻をかじりながら先ほど購入した「鈴の鳴る道」を読みはじめました。とはいうものの夕方になって冷たい風がベンチに座る私の身に容赦なく吹き付けます。一枚一枚ページをめくりながら優しい花の絵と添えられた詩を読んでいきます。キダチベコニアの頁でこんな詩を見つけなるほどなあと思いました。

 「見ているだけで 何も描けず 一日が終わった
 こんな日と 大きな事をやりとげた日と 同じ価値を見出せる 心になりたい」

時計を見ると4時20分。もしかしたらそろそろ人が集まってきているかもしれな
いと思い、本を鞄の中にしまい自転車に乗りました。しかし到着してみると様子が変です。先ほどまでつり下げられていた提灯やお供物はありません。しかも社殿の方か声が聞こえてきます。

「すみません、おかがりはやられないんですか」と声をかけると、当番と思しき方はいぶかしげにこちらをチラと見たので、

「おかがりの写真を撮りたいと思って...」

「なにぃ、いま終わったトコだがね」

「えっ、でも先ほど聞いたら4時半から5時の間にやられると...」

「うちらぁはこれでも遅い方だよ。やられる当番によって違うけど、だいたい4時には片つけておかがりするよ」

「ほっ、本当ですか...」

一瞬脱力感に見舞われました。じつは4時にも一度確認しに行ったのですが、当番らしき人の姿は見当たらず恐らくまだだろうとたかをくくって公園に戻ってしまっていたのです。どうやら当番の方はそのすぐ後に来られたらしい。

カメラを持った私に「雑誌かなんかに載せるの?」と尋ねてきたので、「いえ、屋根神さまをずっと記録していまして。熱田区から来たんですよ」と話すとその人は「えっ! 熱田区から来たの? 若いのに感心だねえ。でもせっかく来てくれたのに残念だね。次は12月1日にまたやるからそのときおいで。せっかくだからみかんあげるわ」と、お下がりのみかんを一個差し出しました。写真を撮れなかったことは残念でしたが、こうして写真以上に人と出会うことになったのです。でも私は先ほど星野富弘さんの詩に感動したばかりじゃないか、と自分を慰めました。

「こんな日と/大きな事をやりとげた日と/同じ価値を見出せる/ 心になりたい」と。

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モリマコトの紹介
1973年7月、名古屋市瑞穂区出身。立命館大学卒業後、韓国・ソウルに遊学。帰国後の「ふがいない時期」に図書館で偶然であった屋根神さまに魅せられる。現在、名古屋市内を中心に愛知、岐阜の屋根神さまを撮り歩き、「屋根神さまのある風景」「まちの文化遺産屋根神さま」等の写真展も開催している。名古屋市熱田区在住。