屋根神さまって?
2008年06月06日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その6
西区内に残る独特な祭礼は、私個人の意見ですが、どれも貴重な「まちの文化遺産」ではないかと思います。市内全域を見回しても、祭礼の簡略化が目立ってきているし、また町内の方が集まって何かをするということが少なくなる中で、こういったおまつりを続けていらっしゃるということはすごいことだ、と思っております。
春=旧六句町氏神祭礼(幅下)
夏=津島神社祭礼(則武新町)、梵天祭(枇杷島)
秋=浅間神社大祭(菊井、新道、名駅)、花車神明社祭(那古野)
冬=秋葉祭(枇杷島)
さらに屋根神信仰というものはお社だけでは成り立っていきません。どれだけ立派な社があってもそれをまつる地域の人々がいなければ成り立っていかないわけですから、どうしても地域の人々の良好な人間関係が必要であると考えられるわけです。
そこで結論ですが、屋根神さまが多く残る西区には豊かな人間関係が残っているのではないか。一口に人間関係といってもわずらわしいものがあるというのも事実です。私もマンション住まいなのですが、最近では隣の人がだれかも分からないということがあると思います。そういう中で、祭礼の現場では、私の両親よりも年上の方たちが「〜ちゃん」と親しげに呼び合っている。長年そこに住んできてつきあってきているからこそ、親しい人間関係が残っているのではないでしょうか。
人間同士の関係が冷たくなってきているいまだからこそ、名古屋の先人たちが築いてきた文化、地域の人々を結びつける屋根神さまを広く伝えていきたい、と思っております。
春=旧六句町氏神祭礼(幅下)
夏=津島神社祭礼(則武新町)、梵天祭(枇杷島)
秋=浅間神社大祭(菊井、新道、名駅)、花車神明社祭(那古野)
冬=秋葉祭(枇杷島)
さらに屋根神信仰というものはお社だけでは成り立っていきません。どれだけ立派な社があってもそれをまつる地域の人々がいなければ成り立っていかないわけですから、どうしても地域の人々の良好な人間関係が必要であると考えられるわけです。
そこで結論ですが、屋根神さまが多く残る西区には豊かな人間関係が残っているのではないか。一口に人間関係といってもわずらわしいものがあるというのも事実です。私もマンション住まいなのですが、最近では隣の人がだれかも分からないということがあると思います。そういう中で、祭礼の現場では、私の両親よりも年上の方たちが「〜ちゃん」と親しげに呼び合っている。長年そこに住んできてつきあってきているからこそ、親しい人間関係が残っているのではないでしょうか。
人間同士の関係が冷たくなってきているいまだからこそ、名古屋の先人たちが築いてきた文化、地域の人々を結びつける屋根神さまを広く伝えていきたい、と思っております。
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その5
片付けですが、午後3時から4時ころにかけてやっていらっしゃいます。以前は片付けの際にかがり火を焚いていらっしゃったのですが、いまではやめられました(「西区の屋根神さまマップ」P10、30)。かご自体は備品入れの中に入っているのですが、道が狭いということと、木造の家屋があり火が燃え移ってはいけないということで、消防署から中止の通達があったそうです。ですからいまこうしてかがり火を焚いている地域は本当に少ないですね。
一方、本塚公園の中にまつられている神さま(「〃」P14、33)では、片付けが終わったあとに組の方たちで神前にお供えするお神酒を飲まれました。
月次祭は毎月1、15日に行うといいましたが、場所によっては月二回のおまつりが難しかったり面倒であるという理由から一回に簡略化しているところもある。屋根から降ろされ地上にまつられているところでも祭礼が上記のような理由で簡略化されることがあり、これはある地域に限ったことではなく、西区内だけでなく名古屋市内全域でみられる傾向です。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所で配布しております。
一方、本塚公園の中にまつられている神さま(「〃」P14、33)では、片付けが終わったあとに組の方たちで神前にお供えするお神酒を飲まれました。
月次祭は毎月1、15日に行うといいましたが、場所によっては月二回のおまつりが難しかったり面倒であるという理由から一回に簡略化しているところもある。屋根から降ろされ地上にまつられているところでも祭礼が上記のような理由で簡略化されることがあり、これはある地域に限ったことではなく、西区内だけでなく名古屋市内全域でみられる傾向です。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所で配布しております。
2008年06月05日
【屋根神講座】最終日はガイド講習、6月5日
西生涯学習センター(名古屋市西区浄心)が「なごや学マイスター制度」の一環として開催している講座「西区屋根神探訪」は最終日の6月5日、元名古屋観光日急のバスガイドである田村君子さんを講師に迎え、屋根神さまや地域に残る史跡のガイド方法を学びました。
教室内でガイドとして「なに」を「どう」伝えるかという方法論を学んだ後、あいにくの雨のなかでしたが、生涯学習センター周辺の屋根神さまと史跡を巡り、プロのガイドの腕前を拝見しました。ちなみに屋根神さまの説明は現地学習同様、三谷と森で行いました。
「西区屋根神探訪」は今回で終了ですが、今後、屋根神さまを広く伝えるための活動を精力的に行っていきたいと考えております。
また、今回の講座抽選にもれた方もたくさんいらっしゃいますが、屋根神さまに関心を持った多くの方々にも参加していただけるようなイベントや講座も随時、開催していきたいと思っております。
教室内でガイドとして「なに」を「どう」伝えるかという方法論を学んだ後、あいにくの雨のなかでしたが、生涯学習センター周辺の屋根神さまと史跡を巡り、プロのガイドの腕前を拝見しました。ちなみに屋根神さまの説明は現地学習同様、三谷と森で行いました。
「西区屋根神探訪」は今回で終了ですが、今後、屋根神さまを広く伝えるための活動を精力的に行っていきたいと考えております。
また、今回の講座抽選にもれた方もたくさんいらっしゃいますが、屋根神さまに関心を持った多くの方々にも参加していただけるようなイベントや講座も随時、開催していきたいと思っております。
2008年06月04日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その4
月次祭の準備ですが、現地学習の際に、だいたい何時ころにやっているのですかとお尋ねになった方がみえましたが、午前7時から10時ころに行われます。ただ当番の方の都合ですので、きっちり何時にやるということは決まっていない。一部では必ず8時にというところもありますが、大部分は当番の方の裁量である。また「神さまのことだから早くやらないと」といわれて6時ころやられる方もいらっしゃいます。
私は現在、栄生のマコロンさんの屋根神さま(「西区の屋根神さまマップ」P14、37)の写真をずっと撮っているのですが、早いと6時ころやられるときもある。熱田区の自宅を出ようとすれば始発の電車では間に合わないわけで、自転車で5時過ぎには出発するようにしています。菊井町を過ぎて栄生まで来る途中、5時半過ぎにすでに準備を終えられているところもありました。
写真の屋根神さま(栄生)では以前、はしごを使って社まで上がり、お供えしたり紫幕を張っていた。提灯も上につるしていた。しかし前の道路に車が頻繁に通り危ないということで、いまでは社の下にテーブルを置き、お供えはクリアケースの中に入れてまつっている。当番の方はこの箱と提灯とテーブルを回す。箱のふたには提灯の順序や供え物の飾り方が書かれています。
また美濃路沿にある八坂神社の南側の町内(「〃」追録、B)では準備の際に「屋根神様の祀り方」と書かれた紙を回しており、ここには祭礼の日時や供え物について細かく記載されています。若い方が当番をやられるときに何をまつっていいのか分からないというケースがあるかもしれないが、こういったものがあれば安心しておまつりできるわけです。
周囲をマンションに囲まれた屋根神さま(「〃」P8、10)では、新しく直す前には、準備の際に提灯に火をつけて、その状態でしばらく飾り付けをしていました。その後、再び訪れて尋ねると、いまは危ないからやめてしまった、といわれました。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所にて配布しております。
私は現在、栄生のマコロンさんの屋根神さま(「西区の屋根神さまマップ」P14、37)の写真をずっと撮っているのですが、早いと6時ころやられるときもある。熱田区の自宅を出ようとすれば始発の電車では間に合わないわけで、自転車で5時過ぎには出発するようにしています。菊井町を過ぎて栄生まで来る途中、5時半過ぎにすでに準備を終えられているところもありました。
写真の屋根神さま(栄生)では以前、はしごを使って社まで上がり、お供えしたり紫幕を張っていた。提灯も上につるしていた。しかし前の道路に車が頻繁に通り危ないということで、いまでは社の下にテーブルを置き、お供えはクリアケースの中に入れてまつっている。当番の方はこの箱と提灯とテーブルを回す。箱のふたには提灯の順序や供え物の飾り方が書かれています。
また美濃路沿にある八坂神社の南側の町内(「〃」追録、B)では準備の際に「屋根神様の祀り方」と書かれた紙を回しており、ここには祭礼の日時や供え物について細かく記載されています。若い方が当番をやられるときに何をまつっていいのか分からないというケースがあるかもしれないが、こういったものがあれば安心しておまつりできるわけです。
周囲をマンションに囲まれた屋根神さま(「〃」P8、10)では、新しく直す前には、準備の際に提灯に火をつけて、その状態でしばらく飾り付けをしていました。その後、再び訪れて尋ねると、いまは危ないからやめてしまった、といわれました。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所にて配布しております。
2008年06月03日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その3
屋根神さまの祭礼で代表的なものは毎月1、15日に行われる月次祭で、屋根神さまにとって基本的なおまつりといえます。三方に洗米や塩、お神酒を飾り、その脇に山のもの、地のもの、海のものをお供えする。また季節によってお供えするものの中身が変わることもあり、写真をみると枇杷島の屋根神さまではメロンやお餅が5個ずつお供えしてある。こちらの屋根神さま(「西区の屋根神さまマップ」P28、49)は町内ではなく組でまつっている。その組が5軒あるのですが、その5軒分のお供えということです。
一方、当番の所在は、備品がしまってある器具庫の鍵や道具の入った箱を回して当番であることを明確にしている。屋根にまつっているところだと道具の置き場がないので、三方だとか提灯やらおまつりの道具を入れて回していた。もちろんいまでも回しているところがあるが、かなり重いので、大変だ、という声もある。
また屋根から降ろしたり、もとから地上にある場合は社に備品入れを作られます。場所によっては社の横に物置を置く場合があり、その場合は物置の鍵を回しどこの人がまつっているかが分かるようになっている。
5軒くらいでまつられているところだとどこが当番かは分かりやすいが、大町内の中で各組がおまつりをする場合は当番が回るのに時間がかかるので、当番札を回す。写真を見ると「神様当番」という木札の横に「神社」と書かれた鍵がかかっている。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所にて配布しております。
一方、当番の所在は、備品がしまってある器具庫の鍵や道具の入った箱を回して当番であることを明確にしている。屋根にまつっているところだと道具の置き場がないので、三方だとか提灯やらおまつりの道具を入れて回していた。もちろんいまでも回しているところがあるが、かなり重いので、大変だ、という声もある。
また屋根から降ろしたり、もとから地上にある場合は社に備品入れを作られます。場所によっては社の横に物置を置く場合があり、その場合は物置の鍵を回しどこの人がまつっているかが分かるようになっている。
5軒くらいでまつられているところだとどこが当番かは分かりやすいが、大町内の中で各組がおまつりをする場合は当番が回るのに時間がかかるので、当番札を回す。写真を見ると「神様当番」という木札の横に「神社」と書かれた鍵がかかっている。

※「西区の屋根神さまマップ」は西区役所にて配布しております。
2008年06月01日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その2
一方、西区の屋根神さまの数の変遷はどうかを見てみると、芥子川先生は129社を確認され、山地さんが調べられたときは104社、私が調べ始めたときは75社ほどあったのですが減り続け、いまでは67社ほどです。
<西区内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=129社
山地英樹さん(1992年)=104社
森実(2007年)=67社
私が調べた数字を見ると、ずっと横ばいできてたのが、2005年になると減っています。これは名古屋駅周辺の再開発が原因ではないかと思います。2005年あたりからミッドランドスクエア、ルーセントタワーができはじめ、その波が西区側にも押し寄せてきたのではと考えられます。私が数年前、菊井町の会社に勤めていたころには同じ名古屋駅でも下町だなあ、と思っていたのですが、いまでは古い長屋がとり壊されて新しいマンションが建てられています。
さらに私は2002年に栄生、2003年に枇杷島にそれぞれ住居を移して生活していました。栄生・枇杷島地区というのは屋根神さまだけでなく、下町風情もふんだんに残ったよいところだったのですが、最近、屋根神さまの写真を撮りにいくと見慣れない建物が多くなりました。まさに開発の波が西区側にも押し寄せてきているということでしょうか。
屋根神さまが減り続けているということで、寂しくなるような数字を見ていただきましたが、実際に屋根神さまをおまつりしている人たちというのは減ってきていることに対して悲観しているわけでもなく、むしろ悲観しているのは調べている私たちのようなものです。
おまつりされている人たちは、昔からやっているものだからやり続けている、神さまだからムゲにできない。他の区で聞いた話ですが、ある長屋に神さまがまつられており、戦時中、空襲でその神さまの隣の建物までは燃えてしまったが、その長屋は燃えずに助かった(中区金山)。伊勢湾台風では、気がついたら屋根神さまがどこかに飛んでいってしまっていたというところもあれば、ずっとその位置にあったところもある(昭和区北山本町)。だから、災害から守ってくれたと、なくさずに残っているケースもあります。
<西区内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=129社
山地英樹さん(1992年)=104社
森実(2007年)=67社
私が調べた数字を見ると、ずっと横ばいできてたのが、2005年になると減っています。これは名古屋駅周辺の再開発が原因ではないかと思います。2005年あたりからミッドランドスクエア、ルーセントタワーができはじめ、その波が西区側にも押し寄せてきたのではと考えられます。私が数年前、菊井町の会社に勤めていたころには同じ名古屋駅でも下町だなあ、と思っていたのですが、いまでは古い長屋がとり壊されて新しいマンションが建てられています。
さらに私は2002年に栄生、2003年に枇杷島にそれぞれ住居を移して生活していました。栄生・枇杷島地区というのは屋根神さまだけでなく、下町風情もふんだんに残ったよいところだったのですが、最近、屋根神さまの写真を撮りにいくと見慣れない建物が多くなりました。まさに開発の波が西区側にも押し寄せてきているということでしょうか。
屋根神さまが減り続けているということで、寂しくなるような数字を見ていただきましたが、実際に屋根神さまをおまつりしている人たちというのは減ってきていることに対して悲観しているわけでもなく、むしろ悲観しているのは調べている私たちのようなものです。
おまつりされている人たちは、昔からやっているものだからやり続けている、神さまだからムゲにできない。他の区で聞いた話ですが、ある長屋に神さまがまつられており、戦時中、空襲でその神さまの隣の建物までは燃えてしまったが、その長屋は燃えずに助かった(中区金山)。伊勢湾台風では、気がついたら屋根神さまがどこかに飛んでいってしまっていたというところもあれば、ずっとその位置にあったところもある(昭和区北山本町)。だから、災害から守ってくれたと、なくさずに残っているケースもあります。
2008年05月31日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その1
先週(5月15日)は実際現地を歩きながら、16カ所の屋根神さまを見ていただきました。西区内でも、四間道と円頓寺のコース、栄生から枇杷島にかけてのコース(5月29日)ではいまでもたくさんの屋根神さまがまつられていまして、それだけでみると意外と屋根神さまは多いんだな、と思われるかもしれませんが、現状は大分、少なくなってきております。
そもそも屋根神さまというのは、現在、名古屋市内でどれくらいまつられているのか。「屋根神さま」「以前は屋根にまつられていた社」「屋根にまつられてはいないが、熱田、津島、秋葉の三社をまつる社」という条件で、2007年に私が調査したものでは139社。西区内ではどうか、同じ条件で見てみると、67社。
市内の屋根神さまの数について一番最初にだれが調査したかということですが、一回目の講義で津田豊彦先生からもお話があったように、芥子川律治先生がお書きになった「屋根神さま」という本があり、この中には分布図と統計表が掲載されています。その次には山地英樹さんが「なごやの屋根神さま」という写真集を出され、巻末に所在地一覧が掲載されております。それと私が2001年から調べておりまして、写真展を開催するたびに統計なども同時に展示しております。
数の推移を見てみると以下の通りです。
<名古屋市内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=244社
山地英樹さん(1992年)=221社
森実(2007年)=139社
芥子川先生が1976年に調査されたものでは244社(現清須市分をのぞく)。山地英樹さんが1992年に数えられたものは221社。そして私が2001年から継続的に行っている調査では、2001年に132、2002年は138、2003年は138、2004年は140、2005年は142、2006年は135、2007年は139社です。数字だけを見ると増えることもあるのか、と思われるかもしれませんが、これは数が増えているのではなく、カウントの仕方とか新しく見つけることで数の増減があるということです。ですので、ざっと140社くらいが残っていると見ていただければいいと思います。
そもそも屋根神さまというのは、現在、名古屋市内でどれくらいまつられているのか。「屋根神さま」「以前は屋根にまつられていた社」「屋根にまつられてはいないが、熱田、津島、秋葉の三社をまつる社」という条件で、2007年に私が調査したものでは139社。西区内ではどうか、同じ条件で見てみると、67社。
市内の屋根神さまの数について一番最初にだれが調査したかということですが、一回目の講義で津田豊彦先生からもお話があったように、芥子川律治先生がお書きになった「屋根神さま」という本があり、この中には分布図と統計表が掲載されています。その次には山地英樹さんが「なごやの屋根神さま」という写真集を出され、巻末に所在地一覧が掲載されております。それと私が2001年から調べておりまして、写真展を開催するたびに統計なども同時に展示しております。
数の推移を見てみると以下の通りです。
<名古屋市内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=244社
山地英樹さん(1992年)=221社
森実(2007年)=139社
芥子川先生が1976年に調査されたものでは244社(現清須市分をのぞく)。山地英樹さんが1992年に数えられたものは221社。そして私が2001年から継続的に行っている調査では、2001年に132、2002年は138、2003年は138、2004年は140、2005年は142、2006年は135、2007年は139社です。数字だけを見ると増えることもあるのか、と思われるかもしれませんが、これは数が増えているのではなく、カウントの仕方とか新しく見つけることで数の増減があるということです。ですので、ざっと140社くらいが残っていると見ていただければいいと思います。
2008年05月29日
【屋根神講座】4日目は栄生、枇杷島を現地学習
西生涯学習センターが「なごや学マイスター制度」の一環として開催している「西区屋根神探訪」は第四回目の29日、区内でも屋根神さまが密集する栄生と枇杷島を現地学習しました。
午前中の雨は集合時間の午後1時半にはほぼやみ、曇り空には強い日差しもなくウオーキングにはもってこいの天気となりました。今回も第二回目の現地学習同様、「屋根神ウオーク実行委員会」の三谷と森が先導と解説を担当。月次祭の前回とは違って屋根神さまには飾り付けもなく社だけの見学となりましたが、受講者の中には熱のこもった質問をしたり、社の前でしきりにカメラのシャッターを押す姿が見られました。
講座「西区屋根神探訪」も早いもので来週6月5日を残すのみとなりました。次回は元バスガイドの先生を招き、浄心近辺の屋根神さまを見ながらガイド練習を行います。
午前中の雨は集合時間の午後1時半にはほぼやみ、曇り空には強い日差しもなくウオーキングにはもってこいの天気となりました。今回も第二回目の現地学習同様、「屋根神ウオーク実行委員会」の三谷と森が先導と解説を担当。月次祭の前回とは違って屋根神さまには飾り付けもなく社だけの見学となりましたが、受講者の中には熱のこもった質問をしたり、社の前でしきりにカメラのシャッターを押す姿が見られました。
講座「西区屋根神探訪」も早いもので来週6月5日を残すのみとなりました。次回は元バスガイドの先生を招き、浄心近辺の屋根神さまを見ながらガイド練習を行います。
2008年05月25日
【講義録】屋根神とは -まとめ-
最後に、屋根神さまを定義するのは非常に難しいわけですが、個人宅や企業、デパートとかじゃなくて、村とか共同体の、ひとつの個人ではなくて町内を守ると、そうすることによって町内の人たちが、毎月1、15日にまつるということで、町内の結束ができる。
いまみたいに隣人が何しているか分からないとか、どこの人が歩いているか分からないということはないわけで、これによって我々が住んでいる生活が守られてきたわけです。
実際、氏神さまですと安全無事、津島さんは病気から守ってくれる、秋葉さんは火を防いでくれる。
しかしご利益以上に、コミュニティーがひとつのものを持つということで、横のつながりを保つ、それが結局我々の生活を守る一番の力だと思うんですね。
たまたま神さまの名前を利用する、結果論としてはそういうことではないか。
現代においては、もう一度こういった生活を見直す必要があるんじゃないかと思います。
いまみたいに隣人が何しているか分からないとか、どこの人が歩いているか分からないということはないわけで、これによって我々が住んでいる生活が守られてきたわけです。
実際、氏神さまですと安全無事、津島さんは病気から守ってくれる、秋葉さんは火を防いでくれる。
しかしご利益以上に、コミュニティーがひとつのものを持つということで、横のつながりを保つ、それが結局我々の生活を守る一番の力だと思うんですね。
たまたま神さまの名前を利用する、結果論としてはそういうことではないか。
現代においては、もう一度こういった生活を見直す必要があるんじゃないかと思います。
2008年05月22日
【講義録】屋根神とは -秋葉信仰2-
江戸時代の終わりに正式に宮中から正一位の位をもらったものの、その後、神仏分離令が出てつぶされてしまった。
秋葉寺はいろいろな経過あって江戸時代の中頃には袋井の可睡斎の末寺(曹洞宗)になり、神仏分離令で秋葉寺の本尊である、観音さんとか秋葉さんのお像は全部可睡斎に預けるようになった。
秋葉さんは全国で信仰が厚いものだから再興の話があり、それで明治16年に秋葉寺というお寺が山頂から100メートルくらい下ったところにできました。
そのとき可睡斎に本尊を返してくれといったのですが、可睡斎では観音さまは返したが肝心の三尺坊は返さなかったようです。
新しくできた秋葉寺は本尊がなかったのですが、江戸の分院でまつっていた三尺坊の像を持ってきていまの秋葉寺の本尊にした。
また熱田の円通寺はですね、遠州から分けてきたといわれていますが、こちらにいわせると「本家だ、遠州の秋葉さんの分家ではない」という。
元々このお寺は1440年代、遠州のコウサイ寺というお寺からえらいお坊さんがきて再興するわけです。そこにお弟子さんがいて、修行で10年くらい経ったときに、和尚が弟子の寝ている姿を見ると天狗の姿であった。
もともとは三尺坊という天狗であったが、見られてしまった以上、ここにいるわけにはいかない。
三尺坊大権現は寺を出るときに火伏の呪文を円通寺の和尚に伝えた。だから円通寺はその呪文を代々伝えているといわれている。
現在、秋葉さんは屋根神さまに多くまつられている。一年に一度、秋葉さんのお札を替えるわけですが、ただ秋葉さんと聞かずにいったいどこのお札を受けていらっしゃいますか、というのを尋ねていただくとありがたい。
それは、秋葉寺に行くのか秋葉神社なら下社か上社に行くのか、それから可睡斎に行くのか、名古屋の円通寺に行くのかとうことになるわけです。 そういうことを聞くといろいろと参考になるかと思います。
考えてみると、元々は、下の方に神さまや仏さまをまつるということは、都市なんかでは犬がおしっこをかけるかもしれません。 ともかく下は非常に不浄であります。
だからありがたいものは高いところ、屋根のように高いところにまつっていた。それがいろんな事情で降りてきたのが、いまの屋根神さまじゃないかなと思います。
秋葉寺はいろいろな経過あって江戸時代の中頃には袋井の可睡斎の末寺(曹洞宗)になり、神仏分離令で秋葉寺の本尊である、観音さんとか秋葉さんのお像は全部可睡斎に預けるようになった。
秋葉さんは全国で信仰が厚いものだから再興の話があり、それで明治16年に秋葉寺というお寺が山頂から100メートルくらい下ったところにできました。
そのとき可睡斎に本尊を返してくれといったのですが、可睡斎では観音さまは返したが肝心の三尺坊は返さなかったようです。
新しくできた秋葉寺は本尊がなかったのですが、江戸の分院でまつっていた三尺坊の像を持ってきていまの秋葉寺の本尊にした。
また熱田の円通寺はですね、遠州から分けてきたといわれていますが、こちらにいわせると「本家だ、遠州の秋葉さんの分家ではない」という。
元々このお寺は1440年代、遠州のコウサイ寺というお寺からえらいお坊さんがきて再興するわけです。そこにお弟子さんがいて、修行で10年くらい経ったときに、和尚が弟子の寝ている姿を見ると天狗の姿であった。
もともとは三尺坊という天狗であったが、見られてしまった以上、ここにいるわけにはいかない。
三尺坊大権現は寺を出るときに火伏の呪文を円通寺の和尚に伝えた。だから円通寺はその呪文を代々伝えているといわれている。
現在、秋葉さんは屋根神さまに多くまつられている。一年に一度、秋葉さんのお札を替えるわけですが、ただ秋葉さんと聞かずにいったいどこのお札を受けていらっしゃいますか、というのを尋ねていただくとありがたい。
それは、秋葉寺に行くのか秋葉神社なら下社か上社に行くのか、それから可睡斎に行くのか、名古屋の円通寺に行くのかとうことになるわけです。 そういうことを聞くといろいろと参考になるかと思います。
考えてみると、元々は、下の方に神さまや仏さまをまつるということは、都市なんかでは犬がおしっこをかけるかもしれません。 ともかく下は非常に不浄であります。
だからありがたいものは高いところ、屋根のように高いところにまつっていた。それがいろんな事情で降りてきたのが、いまの屋根神さまじゃないかなと思います。
