2008年05月12日

【講義録】屋根神とは -屋根神さまの研究史1-

 屋根神さまのことを調べられたのは戦後の方ばかりで、戦前に調査された人は見当たりません。
 まず山田秋衛さんという方ですが、この方も戦後に書かれました。
山田さんは泰文堂から「名古屋言葉辞典」という本を出され、この中に屋根神さまを取り扱っております。
 山田さんは名古屋市の文化財調査委員長もされた非常に名古屋の郷土史に詳しい方で、また絵描きでもあり、広い知識を持つ方です。
「名古屋言葉辞典」での説明は短いものですが、そこには「町筋の民家の小屋根に小さい神祠をまつり、町内の安全を祈るもの、だいたい一カ町に一〜三座ほどがあり、町とか組または切(きり)等で奉祀する。祭神は天照大神、素戔男神、加倶土之神が最も多い。毎月一、十五日に祠前の道路で篝を焚き、酒撰を供える」とありまして、名古屋においては火災を極度に恐れ防火の神さまとして秋葉神社をまつったんだろうと思われます。
 この元というのは実際いつからこうなったのかということは山田先生自身もよく分からないとのことですが、江戸時代の終わりに「ええじゃないか」、「お札降り」というようなことがありました。
 慶応3年、1803年ころに豊橋辺りから始まったことなのですが、お札が空から降ってくるということが日本中、特に西日本を中心にお札降りがあった。
 秋葉三尺坊大権現のお札が一番多く撒かれことから、それをまつったのが始まりじゃないかと述べておいでになります。

 次に篠原薫さんという方が「郷土文化」に昭和39年にお書きになっています。
 「郷土文化」とは鶴舞図書館に事務局があり戦後から現在まで続いている郷土史の研究誌であります。
 そのなかで「のき神さま考」という論考を書いています。
篠原さんは、「屋根神さん」という言葉ではなく「のき神さま」といっている。
あと「棟神さま」という言葉も使っている。
 私は小さいときに昭和区の東郊通あたりに住んでおりまして、正確にいうと津島町というところですが、そこの隣組の長屋の上に神さまがありまして、子供心におまつりしていたのを覚えております。
 戦災でいまは瑞穂区の方に移ってしまったのですが、そのときも「屋根神さん」といっていた気がするのですが、「のき神さん」ともいっておりました。
 かつて名駅辺りに住んでいた友人に聞くと、「『屋根神』なんていった覚えはない、とにかく『のき神さん、のき神さん』といっとった」といっておりましたので、こういう言い方もあるようです。
 篠原さんの報告では「もともとは火伏の神さまをまつるんだけれども、明治になって日清戦争、日露戦争という戦争があって出征に行くと、それで兵隊の武運長久を祈るということで熱田さんを勧請したんじゃないか」と述べております。

※2008年5月8日、西生涯学習センターで行われた津田豊彦先生の講演の講義録を、いくつかに分けて掲載いたします。

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モリマコトの紹介
1973年7月、名古屋市瑞穂区出身。立命館大学卒業後、韓国・ソウルに遊学。帰国後の「ふがいない時期」に図書館で偶然であった屋根神さまに魅せられる。現在、名古屋市内を中心に愛知、岐阜の屋根神さまを撮り歩き、「屋根神さまのある風景」「まちの文化遺産屋根神さま」等の写真展も開催している。名古屋市熱田区在住。