2008年05月
2008年05月31日
【屋根神講座】屋根神さまの現状、その1
先週(5月15日)は実際現地を歩きながら、16カ所の屋根神さまを見ていただきました。西区内でも、四間道と円頓寺のコース、栄生から枇杷島にかけてのコース(5月29日)ではいまでもたくさんの屋根神さまがまつられていまして、それだけでみると意外と屋根神さまは多いんだな、と思われるかもしれませんが、現状は大分、少なくなってきております。
そもそも屋根神さまというのは、現在、名古屋市内でどれくらいまつられているのか。「屋根神さま」「以前は屋根にまつられていた社」「屋根にまつられてはいないが、熱田、津島、秋葉の三社をまつる社」という条件で、2007年に私が調査したものでは139社。西区内ではどうか、同じ条件で見てみると、67社。
市内の屋根神さまの数について一番最初にだれが調査したかということですが、一回目の講義で津田豊彦先生からもお話があったように、芥子川律治先生がお書きになった「屋根神さま」という本があり、この中には分布図と統計表が掲載されています。その次には山地英樹さんが「なごやの屋根神さま」という写真集を出され、巻末に所在地一覧が掲載されております。それと私が2001年から調べておりまして、写真展を開催するたびに統計なども同時に展示しております。
数の推移を見てみると以下の通りです。
<名古屋市内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=244社
山地英樹さん(1992年)=221社
森実(2007年)=139社
芥子川先生が1976年に調査されたものでは244社(現清須市分をのぞく)。山地英樹さんが1992年に数えられたものは221社。そして私が2001年から継続的に行っている調査では、2001年に132、2002年は138、2003年は138、2004年は140、2005年は142、2006年は135、2007年は139社です。数字だけを見ると増えることもあるのか、と思われるかもしれませんが、これは数が増えているのではなく、カウントの仕方とか新しく見つけることで数の増減があるということです。ですので、ざっと140社くらいが残っていると見ていただければいいと思います。
そもそも屋根神さまというのは、現在、名古屋市内でどれくらいまつられているのか。「屋根神さま」「以前は屋根にまつられていた社」「屋根にまつられてはいないが、熱田、津島、秋葉の三社をまつる社」という条件で、2007年に私が調査したものでは139社。西区内ではどうか、同じ条件で見てみると、67社。
市内の屋根神さまの数について一番最初にだれが調査したかということですが、一回目の講義で津田豊彦先生からもお話があったように、芥子川律治先生がお書きになった「屋根神さま」という本があり、この中には分布図と統計表が掲載されています。その次には山地英樹さんが「なごやの屋根神さま」という写真集を出され、巻末に所在地一覧が掲載されております。それと私が2001年から調べておりまして、写真展を開催するたびに統計なども同時に展示しております。
数の推移を見てみると以下の通りです。
<名古屋市内の屋根神さまの数>
芥子川律治さん(1976年)=244社
山地英樹さん(1992年)=221社
森実(2007年)=139社
芥子川先生が1976年に調査されたものでは244社(現清須市分をのぞく)。山地英樹さんが1992年に数えられたものは221社。そして私が2001年から継続的に行っている調査では、2001年に132、2002年は138、2003年は138、2004年は140、2005年は142、2006年は135、2007年は139社です。数字だけを見ると増えることもあるのか、と思われるかもしれませんが、これは数が増えているのではなく、カウントの仕方とか新しく見つけることで数の増減があるということです。ですので、ざっと140社くらいが残っていると見ていただければいいと思います。
2008年05月29日
【屋根神講座】4日目は栄生、枇杷島を現地学習
西生涯学習センターが「なごや学マイスター制度」の一環として開催している「西区屋根神探訪」は第四回目の29日、区内でも屋根神さまが密集する栄生と枇杷島を現地学習しました。
午前中の雨は集合時間の午後1時半にはほぼやみ、曇り空には強い日差しもなくウオーキングにはもってこいの天気となりました。今回も第二回目の現地学習同様、「屋根神ウオーク実行委員会」の三谷と森が先導と解説を担当。月次祭の前回とは違って屋根神さまには飾り付けもなく社だけの見学となりましたが、受講者の中には熱のこもった質問をしたり、社の前でしきりにカメラのシャッターを押す姿が見られました。
講座「西区屋根神探訪」も早いもので来週6月5日を残すのみとなりました。次回は元バスガイドの先生を招き、浄心近辺の屋根神さまを見ながらガイド練習を行います。
午前中の雨は集合時間の午後1時半にはほぼやみ、曇り空には強い日差しもなくウオーキングにはもってこいの天気となりました。今回も第二回目の現地学習同様、「屋根神ウオーク実行委員会」の三谷と森が先導と解説を担当。月次祭の前回とは違って屋根神さまには飾り付けもなく社だけの見学となりましたが、受講者の中には熱のこもった質問をしたり、社の前でしきりにカメラのシャッターを押す姿が見られました。
講座「西区屋根神探訪」も早いもので来週6月5日を残すのみとなりました。次回は元バスガイドの先生を招き、浄心近辺の屋根神さまを見ながらガイド練習を行います。
2008年05月25日
【講義録】屋根神とは -まとめ-
最後に、屋根神さまを定義するのは非常に難しいわけですが、個人宅や企業、デパートとかじゃなくて、村とか共同体の、ひとつの個人ではなくて町内を守ると、そうすることによって町内の人たちが、毎月1、15日にまつるということで、町内の結束ができる。
いまみたいに隣人が何しているか分からないとか、どこの人が歩いているか分からないということはないわけで、これによって我々が住んでいる生活が守られてきたわけです。
実際、氏神さまですと安全無事、津島さんは病気から守ってくれる、秋葉さんは火を防いでくれる。
しかしご利益以上に、コミュニティーがひとつのものを持つということで、横のつながりを保つ、それが結局我々の生活を守る一番の力だと思うんですね。
たまたま神さまの名前を利用する、結果論としてはそういうことではないか。
現代においては、もう一度こういった生活を見直す必要があるんじゃないかと思います。
いまみたいに隣人が何しているか分からないとか、どこの人が歩いているか分からないということはないわけで、これによって我々が住んでいる生活が守られてきたわけです。
実際、氏神さまですと安全無事、津島さんは病気から守ってくれる、秋葉さんは火を防いでくれる。
しかしご利益以上に、コミュニティーがひとつのものを持つということで、横のつながりを保つ、それが結局我々の生活を守る一番の力だと思うんですね。
たまたま神さまの名前を利用する、結果論としてはそういうことではないか。
現代においては、もう一度こういった生活を見直す必要があるんじゃないかと思います。
2008年05月22日
【屋根神講座】西区の屋根神の現状
西生涯学習センターで5月8日より開催されている講座「西区屋根神探訪」は3日目の22日、生涯学習センター内集会室にて「西区の屋根神の現状」と題する講座を行いました。講演者は屋根神ウオーク実行委員会から三谷清と森実。
講演の内容は三谷が「屋根神さまとの出会い」と題し、北区から引っ越してきて西区のことについて深く知りたくなり、区役所が企画する行事に参加する中で屋根神さまと出会ったことなど、思い出を中心に語りました。また「西区の屋根神さまと私」では今でも好評の「西区の屋根神さまマップ」誕生のいきさつから、西区を越え瀬戸市をはじめとする愛知県内や羽島や高山など岐阜県内を回り屋根神さまを調査した経験を披れきしました。
一方、後半を担当した森は「西区の屋根神さまのいま」という題目で自身が出演したニュース番組を見ていただきながら、名古屋市内、西区内に残る屋根神さまの数や移り変わりを講義。続いて西区内で現在も行われている年中行事の中の屋根神さまをプロジェクターを使いながら紹介しました。
「西区屋根神探訪」は4日目の次週、栄生駅を出発し、栄生→枇杷島と屋根神さまが多く残る地域を現地学習します。
講演の内容は三谷が「屋根神さまとの出会い」と題し、北区から引っ越してきて西区のことについて深く知りたくなり、区役所が企画する行事に参加する中で屋根神さまと出会ったことなど、思い出を中心に語りました。また「西区の屋根神さまと私」では今でも好評の「西区の屋根神さまマップ」誕生のいきさつから、西区を越え瀬戸市をはじめとする愛知県内や羽島や高山など岐阜県内を回り屋根神さまを調査した経験を披れきしました。
一方、後半を担当した森は「西区の屋根神さまのいま」という題目で自身が出演したニュース番組を見ていただきながら、名古屋市内、西区内に残る屋根神さまの数や移り変わりを講義。続いて西区内で現在も行われている年中行事の中の屋根神さまをプロジェクターを使いながら紹介しました。
「西区屋根神探訪」は4日目の次週、栄生駅を出発し、栄生→枇杷島と屋根神さまが多く残る地域を現地学習します。
【講義録】屋根神とは -秋葉信仰2-
江戸時代の終わりに正式に宮中から正一位の位をもらったものの、その後、神仏分離令が出てつぶされてしまった。
秋葉寺はいろいろな経過あって江戸時代の中頃には袋井の可睡斎の末寺(曹洞宗)になり、神仏分離令で秋葉寺の本尊である、観音さんとか秋葉さんのお像は全部可睡斎に預けるようになった。
秋葉さんは全国で信仰が厚いものだから再興の話があり、それで明治16年に秋葉寺というお寺が山頂から100メートルくらい下ったところにできました。
そのとき可睡斎に本尊を返してくれといったのですが、可睡斎では観音さまは返したが肝心の三尺坊は返さなかったようです。
新しくできた秋葉寺は本尊がなかったのですが、江戸の分院でまつっていた三尺坊の像を持ってきていまの秋葉寺の本尊にした。
また熱田の円通寺はですね、遠州から分けてきたといわれていますが、こちらにいわせると「本家だ、遠州の秋葉さんの分家ではない」という。
元々このお寺は1440年代、遠州のコウサイ寺というお寺からえらいお坊さんがきて再興するわけです。そこにお弟子さんがいて、修行で10年くらい経ったときに、和尚が弟子の寝ている姿を見ると天狗の姿であった。
もともとは三尺坊という天狗であったが、見られてしまった以上、ここにいるわけにはいかない。
三尺坊大権現は寺を出るときに火伏の呪文を円通寺の和尚に伝えた。だから円通寺はその呪文を代々伝えているといわれている。
現在、秋葉さんは屋根神さまに多くまつられている。一年に一度、秋葉さんのお札を替えるわけですが、ただ秋葉さんと聞かずにいったいどこのお札を受けていらっしゃいますか、というのを尋ねていただくとありがたい。
それは、秋葉寺に行くのか秋葉神社なら下社か上社に行くのか、それから可睡斎に行くのか、名古屋の円通寺に行くのかとうことになるわけです。 そういうことを聞くといろいろと参考になるかと思います。
考えてみると、元々は、下の方に神さまや仏さまをまつるということは、都市なんかでは犬がおしっこをかけるかもしれません。 ともかく下は非常に不浄であります。
だからありがたいものは高いところ、屋根のように高いところにまつっていた。それがいろんな事情で降りてきたのが、いまの屋根神さまじゃないかなと思います。
秋葉寺はいろいろな経過あって江戸時代の中頃には袋井の可睡斎の末寺(曹洞宗)になり、神仏分離令で秋葉寺の本尊である、観音さんとか秋葉さんのお像は全部可睡斎に預けるようになった。
秋葉さんは全国で信仰が厚いものだから再興の話があり、それで明治16年に秋葉寺というお寺が山頂から100メートルくらい下ったところにできました。
そのとき可睡斎に本尊を返してくれといったのですが、可睡斎では観音さまは返したが肝心の三尺坊は返さなかったようです。
新しくできた秋葉寺は本尊がなかったのですが、江戸の分院でまつっていた三尺坊の像を持ってきていまの秋葉寺の本尊にした。
また熱田の円通寺はですね、遠州から分けてきたといわれていますが、こちらにいわせると「本家だ、遠州の秋葉さんの分家ではない」という。
元々このお寺は1440年代、遠州のコウサイ寺というお寺からえらいお坊さんがきて再興するわけです。そこにお弟子さんがいて、修行で10年くらい経ったときに、和尚が弟子の寝ている姿を見ると天狗の姿であった。
もともとは三尺坊という天狗であったが、見られてしまった以上、ここにいるわけにはいかない。
三尺坊大権現は寺を出るときに火伏の呪文を円通寺の和尚に伝えた。だから円通寺はその呪文を代々伝えているといわれている。
現在、秋葉さんは屋根神さまに多くまつられている。一年に一度、秋葉さんのお札を替えるわけですが、ただ秋葉さんと聞かずにいったいどこのお札を受けていらっしゃいますか、というのを尋ねていただくとありがたい。
それは、秋葉寺に行くのか秋葉神社なら下社か上社に行くのか、それから可睡斎に行くのか、名古屋の円通寺に行くのかとうことになるわけです。 そういうことを聞くといろいろと参考になるかと思います。
考えてみると、元々は、下の方に神さまや仏さまをまつるということは、都市なんかでは犬がおしっこをかけるかもしれません。 ともかく下は非常に不浄であります。
だからありがたいものは高いところ、屋根のように高いところにまつっていた。それがいろんな事情で降りてきたのが、いまの屋根神さまじゃないかなと思います。
2008年05月21日
【講義録】屋根神とは -秋葉信仰1-
秋葉さんは遠州・周智郡春野町にあります。
屋根神さんをやられるところは秋葉さんのお札をもらってくるのですが、秋葉さんは非常に複雑です。
秋葉さんのお札を出すところには、秋葉山の一番上に秋葉神社というところがあり、南アルプスの一番南側にありまして、明治6年にできた。
それまではここに秋葉寺というお寺がありました。
慶応4年に神仏分離令が出され、お寺がつぶされてしまって、そこへ神社が建った。それが秋葉神社です。
秋葉寺の元というのは、行基菩薩がここに建て、ご本尊に観音菩薩と十一面菩薩、将軍地蔵といって武装した格好のお地蔵さんがあり、三体がまつってあった。
山の中のお寺で非常に立派なのですが水が出ないので一生懸命祈ったら、水が出てきた。
そこから“がま”が出てきて、背中に「秋葉」とあったことから秋葉山という名前がついたといわれております。
一方、信州・戸隠の近くで、観音さんを信仰している女の人がいて、子どもができず観音さんに祈っていた。
すると観音さまの化身でカルラというからす天狗みたいな格好の観音さんが夢の中に現れ、ついに子どもが産まれた。その子は非常に優秀な子で、後にお坊さんになった。
そしていまの新潟県の長岡市に蔵王権現をまつる常安寺というお寺があり、その下に三尺坊という寺があった。
そこで修行し、最後は大変な苦行をされて、ある日突然、背中から羽が生えてからす天狗みたいな格好になり、全国を飛び回って、最後に秋葉山に落ち着いた。
落ち着いたときに十二の誓いをしまして、その中には「火伏」があった。
いつから火伏をするようになったかというと、江戸時代の慶応何年かに初めて防火という言葉が出てきたが、もとは防火の神さまではなくて、武田信玄や徳川家康などが関わって、特に将軍地蔵を武神として信仰していた。
そして武田信玄と徳川家康が結託して今川氏を滅ぼそうとしたために、今川氏が神社を焼いてしまった。
のちに再興され、そのころにやっと火伏ということが出てくるわけです。
また、正一位秋葉神社とありますが、これがいつ正一位になったかというとよく分かりません。
伝説ではありますが、三尺坊は私の名前を呼んでくれればいつでも火伏に行く、といっていた。
あるとき御所が火事になった。そのときに天皇が秋葉さんに火伏に来てくれといったが、来ない。火がどんどん広がっているが来ない。
そしたら門の外で大きな声がする。自分はここにいるが宮中には位がないと入れない。
そのとき天皇は正一位の位を与えるといった。それで位をもらったものですから宮中に上がることができた。
白馬に乗って火の中を駆け回って、火を伏せ、それから正一位を名乗るようになった。
屋根神さんをやられるところは秋葉さんのお札をもらってくるのですが、秋葉さんは非常に複雑です。
秋葉さんのお札を出すところには、秋葉山の一番上に秋葉神社というところがあり、南アルプスの一番南側にありまして、明治6年にできた。
それまではここに秋葉寺というお寺がありました。
慶応4年に神仏分離令が出され、お寺がつぶされてしまって、そこへ神社が建った。それが秋葉神社です。
秋葉寺の元というのは、行基菩薩がここに建て、ご本尊に観音菩薩と十一面菩薩、将軍地蔵といって武装した格好のお地蔵さんがあり、三体がまつってあった。
山の中のお寺で非常に立派なのですが水が出ないので一生懸命祈ったら、水が出てきた。
そこから“がま”が出てきて、背中に「秋葉」とあったことから秋葉山という名前がついたといわれております。
一方、信州・戸隠の近くで、観音さんを信仰している女の人がいて、子どもができず観音さんに祈っていた。
すると観音さまの化身でカルラというからす天狗みたいな格好の観音さんが夢の中に現れ、ついに子どもが産まれた。その子は非常に優秀な子で、後にお坊さんになった。
そしていまの新潟県の長岡市に蔵王権現をまつる常安寺というお寺があり、その下に三尺坊という寺があった。
そこで修行し、最後は大変な苦行をされて、ある日突然、背中から羽が生えてからす天狗みたいな格好になり、全国を飛び回って、最後に秋葉山に落ち着いた。
落ち着いたときに十二の誓いをしまして、その中には「火伏」があった。
いつから火伏をするようになったかというと、江戸時代の慶応何年かに初めて防火という言葉が出てきたが、もとは防火の神さまではなくて、武田信玄や徳川家康などが関わって、特に将軍地蔵を武神として信仰していた。
そして武田信玄と徳川家康が結託して今川氏を滅ぼそうとしたために、今川氏が神社を焼いてしまった。
のちに再興され、そのころにやっと火伏ということが出てくるわけです。
また、正一位秋葉神社とありますが、これがいつ正一位になったかというとよく分かりません。
伝説ではありますが、三尺坊は私の名前を呼んでくれればいつでも火伏に行く、といっていた。
あるとき御所が火事になった。そのときに天皇が秋葉さんに火伏に来てくれといったが、来ない。火がどんどん広がっているが来ない。
そしたら門の外で大きな声がする。自分はここにいるが宮中には位がないと入れない。
そのとき天皇は正一位の位を与えるといった。それで位をもらったものですから宮中に上がることができた。
白馬に乗って火の中を駆け回って、火を伏せ、それから正一位を名乗るようになった。
2008年05月20日
【講義録】屋根神とは -津島信仰-
天王信仰は牛頭天王をおまつりしております。
京都の八坂神社も牛頭天王をまつっております。
なぜ牛頭天王をまつり始めたのは疫病除けになるということですが、牛頭天王に ついてはよく分かりません。
津島神社の成立ということもよく分かりません。
鎌倉時代になると津島神社という名前も出てきます。
そして津島神社も祭神がいろいろいわれていますけど、ともかく津島牛頭天王ということになっているわけです。
一方、八坂神社も牛頭天王をまつっていますが、八坂神社と津島神社の関係は、まったくといっていいほど分からないといっていいと思います。
津島さんは津島さんで牛頭天王をまつり、八坂神社は八坂神社で牛頭天王をまつっている。
津島の牛頭天王というのは津島神社の伝承によれば、対馬から移ってきたというが牛頭天王の信仰というのはよく分からない。
牛頭天王は悪いものには疫病を与え、よいものには疫病を抑えると、そういうことからこういう信仰が生まれた。
夏は病気が流行る季節です。
そこで、尾張地方では、夏になると津島さん、牛頭天王をまつる。
天王まつりのころ、お札をもらってきて75日間、村の中におまつりして疫病を抑えるということをした。
それが都会でも広まってきて、その75日というのが、いつのまにかずっと一年間おまつりするという形になってきた。
京都の八坂神社も牛頭天王をまつっております。
なぜ牛頭天王をまつり始めたのは疫病除けになるということですが、牛頭天王に ついてはよく分かりません。
津島神社の成立ということもよく分かりません。
鎌倉時代になると津島神社という名前も出てきます。
そして津島神社も祭神がいろいろいわれていますけど、ともかく津島牛頭天王ということになっているわけです。
一方、八坂神社も牛頭天王をまつっていますが、八坂神社と津島神社の関係は、まったくといっていいほど分からないといっていいと思います。
津島さんは津島さんで牛頭天王をまつり、八坂神社は八坂神社で牛頭天王をまつっている。
津島の牛頭天王というのは津島神社の伝承によれば、対馬から移ってきたというが牛頭天王の信仰というのはよく分からない。
牛頭天王は悪いものには疫病を与え、よいものには疫病を抑えると、そういうことからこういう信仰が生まれた。
夏は病気が流行る季節です。
そこで、尾張地方では、夏になると津島さん、牛頭天王をまつる。
天王まつりのころ、お札をもらってきて75日間、村の中におまつりして疫病を抑えるということをした。
それが都会でも広まってきて、その75日というのが、いつのまにかずっと一年間おまつりするという形になってきた。
2008年05月19日
【講義録】屋根神とは -熱田信仰-
屋根神さんの信仰ですが、熱田神宮が中心になっております。
尚武の神、武神であり、武運長久で、特に明治以降、熱田さん自身が国家神道の中心になったこともあって、お伊勢さんについで立派な神さんであるということから、広がったのであります。
熱田さんというのは宮の宿の辺りが氏子の範囲でした。
一方、碁盤割の地域は名古屋城にある三の丸天王社とかあるいは若宮さんが、氏神さんだったわけです。
そして、それまでは熱田さんの信仰範囲はそれほど広くなかったわけですが、明治以降になると国家神道で、天皇家につながり格式が高いということで信仰圏が非常に広まりました。
同時に、熱田さんというのはご神体が、草薙の剣、日本武尊を祭神とする武神であり戦争の神さまであるから、武運長久を祈るという信仰が広まった。
尚武の神、武神であり、武運長久で、特に明治以降、熱田さん自身が国家神道の中心になったこともあって、お伊勢さんについで立派な神さんであるということから、広がったのであります。
熱田さんというのは宮の宿の辺りが氏子の範囲でした。
一方、碁盤割の地域は名古屋城にある三の丸天王社とかあるいは若宮さんが、氏神さんだったわけです。
そして、それまでは熱田さんの信仰範囲はそれほど広くなかったわけですが、明治以降になると国家神道で、天皇家につながり格式が高いということで信仰圏が非常に広まりました。
同時に、熱田さんというのはご神体が、草薙の剣、日本武尊を祭神とする武神であり戦争の神さまであるから、武運長久を祈るという信仰が広まった。
2008年05月17日
【講義録】屋根神とは -まつる人々と町内の範囲-
屋根神さまはどういう人がまつっているかということですが、個々の家では津島さんや熱田さんの札を神棚にまつったり、秋葉さんの札を台所に張ってみえる方もいるかと思います。
しかしそれとは別に、「組」とか「町内」、また「切」とか「屋敷」でまつることをいいます。
私の子どものころは、長屋に5、6軒、一戸建の家がやはり5、6軒あって、それがひとつの隣組になっていた。
長屋に中二階があり、真ん中のところに屋根神さんがまつってありました。
子どものころでしたから屋根神さまのご祭神が秋葉さんだったか熱田さんだったかその辺りのことはまったく知らなかったのですが、戦災ですべて焼けてしまいました。
ですが、隣組でおまつりしていたのは覚えております。
町内でまつるということが屋根神さまの大きな特徴ではないでしょうか。
どの範囲にまで屋根神さまがあるかということですが、定義の仕方によって、違ってくるかも分かりません。
屋根の上に祠があり、しかもそれが町内や組でおまつりしているということでいえば相当広い範囲になるかと思います。
名古屋市内はもちろんですが、清須や一宮、岐阜の方でもあります。
近藤宗光さんの調査では岐阜とか滋賀にもあるということですが、どういった祭神をまつっているのか。
名古屋のように熱田、津島、秋葉が合体した三点セットをまつっているのか。
ともかく「屋根の上にあって町内でまつる」という定義ですれば広い範囲になるが、「三社をまつるもの」という範囲にすれば、ある程度縮まってくるかも分かりません。
その辺りも屋根神をどう定義するか、ということがひとつ大きな問題になってくるかと思います。
しかしそれとは別に、「組」とか「町内」、また「切」とか「屋敷」でまつることをいいます。
私の子どものころは、長屋に5、6軒、一戸建の家がやはり5、6軒あって、それがひとつの隣組になっていた。
長屋に中二階があり、真ん中のところに屋根神さんがまつってありました。
子どものころでしたから屋根神さまのご祭神が秋葉さんだったか熱田さんだったかその辺りのことはまったく知らなかったのですが、戦災ですべて焼けてしまいました。
ですが、隣組でおまつりしていたのは覚えております。
町内でまつるということが屋根神さまの大きな特徴ではないでしょうか。
どの範囲にまで屋根神さまがあるかということですが、定義の仕方によって、違ってくるかも分かりません。
屋根の上に祠があり、しかもそれが町内や組でおまつりしているということでいえば相当広い範囲になるかと思います。
名古屋市内はもちろんですが、清須や一宮、岐阜の方でもあります。
近藤宗光さんの調査では岐阜とか滋賀にもあるということですが、どういった祭神をまつっているのか。
名古屋のように熱田、津島、秋葉が合体した三点セットをまつっているのか。
ともかく「屋根の上にあって町内でまつる」という定義ですれば広い範囲になるが、「三社をまつるもの」という範囲にすれば、ある程度縮まってくるかも分かりません。
その辺りも屋根神をどう定義するか、ということがひとつ大きな問題になってくるかと思います。
