2008年04月
2008年04月25日
【資料】名古屋長者町誌
資料名:名古屋長者町誌
著 者:名古屋長者町織物協同組合
発行所:名古屋長者町織物協同組合
発行年:1950年
入手先:名古屋市鶴舞図書館
かつて私の写真展に来て下さったお客さんから教えていただいた資料。長者町は繊維の町として栄えたが、最近はシャッターがしまったところが多くなった、かと思えばオシャレな若者向けの店が増え、新旧混合の雰囲気が漂っている。
長者町も碁盤割りの城下町にあり、本書を見ると「戦災前の長者町通居住者」の図中、「下長者町一丁目」「下長者町二丁目」「下長者町三丁目」「下長者町四丁目」にそれぞれ「屋上祭神」(恐らく屋根神さまのことだろう)がまつられていたと記されている。同じ頁に掲載されている戦後版を見ると神さまは見当たらない。戦災により焼かれてしまったのだろう。この図を持って実際に歩いてみたが、もちろん現在では見当たらない。
戦災にあう前は市内各地でこういった形でまつられていたのだろう。芥子川律治さんにはその著書の中で戦前は千社をこえる屋根神さまがまつられていたのでは、と述べられている。またこれを見ると町内に路地や行き止まりの空間がいくつか見られる。いわゆる「閑所」だろう。戦後版には見られない。日常の些細な風景をも戦争は奪ってしまうということだ。
著 者:名古屋長者町織物協同組合
発行所:名古屋長者町織物協同組合
発行年:1950年
入手先:名古屋市鶴舞図書館
かつて私の写真展に来て下さったお客さんから教えていただいた資料。長者町は繊維の町として栄えたが、最近はシャッターがしまったところが多くなった、かと思えばオシャレな若者向けの店が増え、新旧混合の雰囲気が漂っている。
長者町も碁盤割りの城下町にあり、本書を見ると「戦災前の長者町通居住者」の図中、「下長者町一丁目」「下長者町二丁目」「下長者町三丁目」「下長者町四丁目」にそれぞれ「屋上祭神」(恐らく屋根神さまのことだろう)がまつられていたと記されている。同じ頁に掲載されている戦後版を見ると神さまは見当たらない。戦災により焼かれてしまったのだろう。この図を持って実際に歩いてみたが、もちろん現在では見当たらない。
戦災にあう前は市内各地でこういった形でまつられていたのだろう。芥子川律治さんにはその著書の中で戦前は千社をこえる屋根神さまがまつられていたのでは、と述べられている。またこれを見ると町内に路地や行き止まりの空間がいくつか見られる。いわゆる「閑所」だろう。戦後版には見られない。日常の些細な風景をも戦争は奪ってしまうということだ。
2008年04月23日
2008年04月21日
【私と屋根神】屋根神さまの残るまち
先日、屋根神さまを撮りながらふとこんなことを思いました。
「自分は果たして屋根神さまを撮っているのだろうか?」
私は屋根神さまを写真に記録したいと思い立ち、名古屋市内に残る屋根神さまを撮ってきました。だから屋根神さまを撮っていることには変わりないのですが、現像された写真のコマをルーペでのぞきながら、最近、自分自身にこう問いかけています。
そもそも屋根神さまとは「家屋のひさし屋根の上や軒下にまつられた神さま」を指すことはご存知の通りです。しかし現在名古屋市内で見られる屋根神さまの多くが「屋根神さまをルーツとする社」、つまりかつては屋根にまつられていたけど何らかの理由で降ろされ、他の形態に変化したものといえるでしょう。
古い資料で申し訳ありませんが、2006年に私が調査した市内の屋根神さま135社のうち「屋根」(上記の説明の状態)にあるものは16社で、下に降りた状態である「台上」(祭祀形態は様々)は86社にのぼります。これによると既に半数以上は本来の意味の「屋根」神さまではありません。「屋根神さまの写真撮らせて下さい」と声をかけながら実際撮影したものは屋根神さまでないというのが笑えない事実です。
もちろん、「屋根神さまをルーツとする社」でも飾り付けをはじめ祭祀形態は上にあった時代とそれほど変わらず、写真の撮影と同時に行う地域の方への聞き取りはとても価値があることと思っています。しかし、何かが物足りない。それはやはり屋根の神さまを撮っていないからなのでしょうか...
屋根神さまの写真を撮る私にとって「閑散期」である2、3月が過ぎると、春祭たけなわの4月がやってきます。昨年は岐阜県関市を皮切りに、郡上市、高山市、羽島市と屋根神さまのある町を歩くなかで、うらやましく思うことがありました。ひとつは昔ながらのまち並みと人々のつながりが当たり前のように現役で残っている点、そして瓦屋根の連なる街道筋は交通量が名古屋と比べてかなり少なく、それほど車を気にせず歩ける点です。そういった条件が重なり合い屋根神さまが残されていくのだと思います。
もちろん、数こそ少なくなりましたが、名古屋にも岐阜に劣らずすてきな風景が残っています。その風景の記録こそが「屋根神さまを撮ること」なのだと思い、心を新たにしました。
「自分は果たして屋根神さまを撮っているのだろうか?」
私は屋根神さまを写真に記録したいと思い立ち、名古屋市内に残る屋根神さまを撮ってきました。だから屋根神さまを撮っていることには変わりないのですが、現像された写真のコマをルーペでのぞきながら、最近、自分自身にこう問いかけています。
そもそも屋根神さまとは「家屋のひさし屋根の上や軒下にまつられた神さま」を指すことはご存知の通りです。しかし現在名古屋市内で見られる屋根神さまの多くが「屋根神さまをルーツとする社」、つまりかつては屋根にまつられていたけど何らかの理由で降ろされ、他の形態に変化したものといえるでしょう。
古い資料で申し訳ありませんが、2006年に私が調査した市内の屋根神さま135社のうち「屋根」(上記の説明の状態)にあるものは16社で、下に降りた状態である「台上」(祭祀形態は様々)は86社にのぼります。これによると既に半数以上は本来の意味の「屋根」神さまではありません。「屋根神さまの写真撮らせて下さい」と声をかけながら実際撮影したものは屋根神さまでないというのが笑えない事実です。
もちろん、「屋根神さまをルーツとする社」でも飾り付けをはじめ祭祀形態は上にあった時代とそれほど変わらず、写真の撮影と同時に行う地域の方への聞き取りはとても価値があることと思っています。しかし、何かが物足りない。それはやはり屋根の神さまを撮っていないからなのでしょうか...
屋根神さまの写真を撮る私にとって「閑散期」である2、3月が過ぎると、春祭たけなわの4月がやってきます。昨年は岐阜県関市を皮切りに、郡上市、高山市、羽島市と屋根神さまのある町を歩くなかで、うらやましく思うことがありました。ひとつは昔ながらのまち並みと人々のつながりが当たり前のように現役で残っている点、そして瓦屋根の連なる街道筋は交通量が名古屋と比べてかなり少なく、それほど車を気にせず歩ける点です。そういった条件が重なり合い屋根神さまが残されていくのだと思います。
もちろん、数こそ少なくなりましたが、名古屋にも岐阜に劣らずすてきな風景が残っています。その風景の記録こそが「屋根神さまを撮ること」なのだと思い、心を新たにしました。
2008年04月18日
【資料】名古屋の史跡と文化財
資料名:名古屋の史跡と文化財
著 者:名古屋市教育委員会
発行所:名古屋市教育委員会
発行年:1990年
入手先:名古屋市鶴舞図書館
「民俗概説」の中に数行、屋根神さまについて触れられている部分がある。特に真新しいこともなく、一般的な説明である。
それよりもその数行あとに近世後期に名古屋の民俗や風俗を絵画として記録した画家の名前が記されており、彼等の偉業を称えながら「現在はそれよりいかに多くのものを失ったかを知らされる」と嘆きとも思われる文章がある。著者がだれであるかは知らないが、次の文章とともに私も共感する。
「ハレとケのけじめのない生活を活性化するには、もう一度、先人の生活を見直してみる必要があるのではなかろうか」。
だが、写真を撮りながら思うのは、先人の生活を見直すことの必要性はものすごく感じる一方で、近代文明が生んだ利便性や効率性は減速するどころかますます加速しており、もはや先人の生活どころではないところまで来ているようだ。駅前だけでなく下町と呼ばれる地域に突然、高層マンションが建設される。文化を考える前に利益こそが第一に考えられてしまう。「見直してみる必要」を感じる前に社会が大きく変わってしまう。
私も果たしていつまで記録し続けることができるだろうか、また記録する意味は果たしてあるのだろうか...ということまで考えてしまわざるを得ない。
著 者:名古屋市教育委員会
発行所:名古屋市教育委員会
発行年:1990年
入手先:名古屋市鶴舞図書館
「民俗概説」の中に数行、屋根神さまについて触れられている部分がある。特に真新しいこともなく、一般的な説明である。
それよりもその数行あとに近世後期に名古屋の民俗や風俗を絵画として記録した画家の名前が記されており、彼等の偉業を称えながら「現在はそれよりいかに多くのものを失ったかを知らされる」と嘆きとも思われる文章がある。著者がだれであるかは知らないが、次の文章とともに私も共感する。
「ハレとケのけじめのない生活を活性化するには、もう一度、先人の生活を見直してみる必要があるのではなかろうか」。
だが、写真を撮りながら思うのは、先人の生活を見直すことの必要性はものすごく感じる一方で、近代文明が生んだ利便性や効率性は減速するどころかますます加速しており、もはや先人の生活どころではないところまで来ているようだ。駅前だけでなく下町と呼ばれる地域に突然、高層マンションが建設される。文化を考える前に利益こそが第一に考えられてしまう。「見直してみる必要」を感じる前に社会が大きく変わってしまう。
私も果たしていつまで記録し続けることができるだろうか、また記録する意味は果たしてあるのだろうか...ということまで考えてしまわざるを得ない。
2008年04月17日
【私と屋根神】思いつきから
外山滋比古の「思考の整理学」に、あることを集中して考えても煮詰まってしまうので「寝かせる」つまり一定期間忘れることが必要と書いてありました。素人の私は、再び思い出せなくなったら、と心配するのですが、仮に忘れっぱなしであれば、それは重要な事柄ではなかった、というだけです。
屋根神さまに関心を持って以来、なぜ屋根神さまは屋根に上げられたのか、津島・秋葉・熱田の三社をまつったのか、という疑問について考えています。一般に「地上にまつる場所がなかったから」「津島=厄除け、秋葉=火伏、熱田=武運長久」と考えられており、私も様々な場所でこう書いています。
屋根神さまについて書かれた書物を読むとこのような説明があり、それを見た研究者が論文などでそう書けば、未来の読者に影響を与えることになるでしょう。私も与えられたクチですが、飽きずに現場で観察したりまつってみえる方に話を聞くと、「なるほどなあ」とついうなってしまうこともあります。
中村区内でまつられている神さまは12月16日の秋葉祭のときだけ社を近くの神社に移し仮の祭殿を作って祭礼を行います。秋葉祭ですからその前で火をたき、近所の方は「中にイモを入れて焼きイモして、それを食べると夏に病にかからんというの、夏病みしんのだヮ。これ、そういう神さまだもん」とと教えてくれました。
ここで「秋葉祭で焼いたイモを食べる→夏病みしない」から「夏病み→厄除け→天王祭」という図式が思い浮かびました。つまり秋葉神社で食べたイモが津島神社の霊験(厄除け、災禍の退散)に影響を与えているのです。秋葉さんと天王さんの連携プレーといえるのではないでしょうか? 主流を外れた思考に過ぎないかもしれませんが、現場でしか知りえないことだと思います。
ちなみに洗濯物をたたんでいるときに何となく思い出したのでメモしました。
屋根神さまに関心を持って以来、なぜ屋根神さまは屋根に上げられたのか、津島・秋葉・熱田の三社をまつったのか、という疑問について考えています。一般に「地上にまつる場所がなかったから」「津島=厄除け、秋葉=火伏、熱田=武運長久」と考えられており、私も様々な場所でこう書いています。
屋根神さまについて書かれた書物を読むとこのような説明があり、それを見た研究者が論文などでそう書けば、未来の読者に影響を与えることになるでしょう。私も与えられたクチですが、飽きずに現場で観察したりまつってみえる方に話を聞くと、「なるほどなあ」とついうなってしまうこともあります。
中村区内でまつられている神さまは12月16日の秋葉祭のときだけ社を近くの神社に移し仮の祭殿を作って祭礼を行います。秋葉祭ですからその前で火をたき、近所の方は「中にイモを入れて焼きイモして、それを食べると夏に病にかからんというの、夏病みしんのだヮ。これ、そういう神さまだもん」とと教えてくれました。
ここで「秋葉祭で焼いたイモを食べる→夏病みしない」から「夏病み→厄除け→天王祭」という図式が思い浮かびました。つまり秋葉神社で食べたイモが津島神社の霊験(厄除け、災禍の退散)に影響を与えているのです。秋葉さんと天王さんの連携プレーといえるのではないでしょうか? 主流を外れた思考に過ぎないかもしれませんが、現場でしか知りえないことだと思います。
ちなみに洗濯物をたたんでいるときに何となく思い出したのでメモしました。





